むーみん、にょろにょろのうみにただよう

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横須賀城址 

横須賀城址
3月の初旬、掛川市にある「横須賀城址」に行ってきた。

横須賀城とは

説明 

模型で見るとこんな感じ。
模型



説明 アップ

江戸時代中頃まで、城のすぐ前から北西裏にかけて遠州灘から深く入り込む入り江があって、横須賀城を天然の要塞としていました。入江には横須賀湊があり、大きな船も寄港し水上交通と物流の拠点となっていました。
(中略)
城前のこの入江は、宝永4年の宝永大地震による地盤隆起によって干上がり、横須賀城周辺の様子は一変するとともに湊も使えなくなり、横須賀城と城下町は軍事と経済面で大打撃を受けたと考えられます。湊が使えなくなった以降は西方の太田川河口の福田湊まで運河が造られて小舟が行き来しました。




城址より南を望む1

城址より南を望む2

城址から海のある方向を望む。
海岸線までは2kmほどある。

江戸時代はこの城址の目前まで海が来ていたわけである。


わかりやすい

この「遠州横須賀城図」を見るとよくわかる。
宝永地震はとんでもない地殻変動を引き起こしていた。


な・の・に・・・


ここから十数キロ東方面に行くと、かの「浜岡原発」があるわけで。


ウィキペディアで「宝永地震」を調べてみると、浜岡原発のある御前崎は地盤が約1~2m隆起したと載っている。
まぁ場所によるのだろうけど。


宝永地震ほどの規模の地震は数百年に一度の割合でしか起こらないかも知れない。
でも、過去それほど地殻変動した場所の周辺に原発建てるのやめません?
アホデスカ?
アホデスカーーーーーーー!!!!!!!!!!!!



この横須賀城址のことはとあるテレビ番組で知って、一度観てみたいと思っていた。
城址から海岸線まで、300年前までは海の底だったなんて信じられなかった。
もし宝永クラスの地震が起きたら、浜岡原発は・・・。
そして日本は・・・。



「絶対」なんてない。
「絶対」なんてないんよ。



梅がきれいでした




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梅園 

某日、磐田市(旧豊岡村)にある豊岡梅園に行ってきた。

梅の木
雲ひとつない空。


空に伸びて



年季入ってます
年季の入った枝ぶり。
ここ数日の強風で花びらが少し散ってしまったかな。


紅梅
紅梅、鮮やか。


つくし

つくしもにょっきり。


たんぽぽ
あぁ、春だなぁ・・・とつぶやいてしまう。


広大な敷地
思っていた以上に広大な梅園だった。
4万坪もあるらしい。

昭和42年に、梅酒用の梅を生産することを目的に植樹されたそう。
南高、古城改良内田といった白梅を中心に約5千本の梅が植えられている。

これから毎年来よう。


白と青のコントラスト
空の青に、白い梅の花がくっきりと浮かぶ。



梅干付き♪
そうそう、もれなく梅干がもらえます。




影 & 巣箱
敷地が広いので、見て回っていたらあっという間に時間が経ち、日が暮れてきた。


養蜂もされているよう。
巣箱の出入口から、蜜蜂が顔を出していた。




豊岡梅園  

近くまでお越しの際は是非。


豊岡梅園
静岡県磐田市上野部1989-1
HPあり



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祈り 

今年も



咲き始めました



春





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松山 Ⅲ 

電車来た~


午前中はレンタサイクルをして、昔住んでいたところを巡ろうと思っていた。
レンタサイクルの営業は朝8時半から。
当初の予定では8時半にはJR松山駅に着いていて、そこでレンタサイクルするつもりだったが、
かなり時間が押してしまった。
でもお気楽一人旅なので「まいっか」で済んでしまう。


とりあえず、伊予鉄道の1DAYチケットを購入して道後温泉駅から市電に乗り込んだ。


1Dayチケット&電車の中

この1Dayチケットは買って正解だった。
大人は1日400円で伊予鉄の市電・バスの通用区間乗り放題(市電は全区間)。
これを使って何度乗り降りしたことか。

それにしてもこのチケットの写真のように、青空だったらよかったのに・・・(泣)



電車の中。観光客がちらほら。
床は板張り。さっきまで雨が降っていたせいで床が湿っている。


松山にいた頃、市電に乗ったのは学校行事くらい。
だいたいどこに行くのも自転車だった。
あの頃よく自転車乗り回してたな~(笑)







松山駅前


気づけばJR松山駅前。

JR松山駅


JR松山駅。

松山ではJRの松山駅より伊予鉄の松山市駅の方が街の中心部に近い上、
駅ビルに高島屋が入っている(観覧車もついている)ためか存在感がある。

私にとっては、JR松山駅の方が家に近かったので馴染みがある。
そして県庁所在地のJRの中心駅としては地味かもしれないが、この素朴さがまた良いと思っている。

昔は駅の敷地内にみかんの形の電話ボックスがあったが、もうなくなっていた。
まだあったらいいなとちょっと期待していたのだが・・・。


ちなみに、駅の敷地内にはある有名な石碑がある。

春や昔


春や昔

十五万石の
   
城下哉


子規


松山出身の俳人・正岡子規の句碑だ。
子規は日清戦争の従軍記者として大陸に渡り、その帰路で喀血し重体に陥った。
その年明治28年、松山に帰郷した際に上の句を詠んだ。
碑に刻まれた字は子規直筆の拡大らしい。


私はこの句がお気に入りである。
毎年春が近づくとこの句が頭に浮かび、無性に松山に帰りたくなる自分がいる(笑)








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松山 Ⅱ 

久々に道後温泉に浸かった。
5年前に来た時は入らなかったから、10年ぶりだ。
昔はとても熱く感じたお湯も、今日は何だかちょうど良い。

お風呂の中は朝7時台ということで入浴客はまだ少なく、とても快適だった。

地元の子だろうか。
数人でお風呂に入りに来ていた。
久々に聞く「伊予弁」。
懐かしい、心地よい響き。

でも思ってたより、訛りがある。
子どもの頃は標準語に近いと思っていたんだよなぁ。



坊っちゃんの間

道後温泉といえば、夏目漱石の「坊っちゃん」。
道後温泉の3階には「坊っちゃんの間」という部屋がある。
漱石をしのんで作られたものらしい。


則天去私

則天去私

夏目漱石の最晩年(大正5年)のことば。

「小さな私を去って自然にゆだねて生きること。」


晩年上のように悟った漱石は意外と結構波乱万丈な人生だった・・(詳しくはウィキペディアにGO!)
千円札に載っていた雰囲気からは想像がつかないが。


館内

この廊下をまっすぐ行って右奥の部屋が坊っちゃんの間。
道後はいたるところでお花が生けてある。風情があってとても良い。


雨やんだ~

外に出ると、雨は止んでいた。
晴女パワー発揮か?(笑)
とりあえず一安心。


椿と道後

椿は松山の市花。厳密に言えば「ヤブツバキ」だそうだ。
道後に椿は良く似合う。


からくり時計

にわかに観光客が増えてきた。

道後温泉駅前にあるカラクリ時計は時間になると坊っちゃんの登場人物が現れる。
そのカラクリ時計の隣には足湯がある。
松山を観光したあとの疲れた足を癒すにはちょうどいいかもしれない。



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